今を生きる よりよく生きる

昨日は豊橋のかぁやん商店さんで『陽転お茶会』でした。

 

豊橋というか東三河の土地柄なんだろうと思うのですが

地元で生まれ育った人が多い場所は他所の人をすぐにはコミュニティに入れない

という閉鎖性がある代わりに、だれか仲間内の人が「いいよ!」といった人には

ものすごくオープンに迎え入れてくれる場所だと感じます。

だいたい「〇〇さんが良いって言っていたので一度会ってみたかったです」と

来てくださる方が多い。

私が住んでいる岡崎は西三河になるのですが、こちらとは何かちょっと違います。

違いの面白さや、受け入れてくれる人がいる幸せをいつも感じます。

 

 

前にもちょっと書いたことがあるのですが、

昨日のお茶会でも、「前に違う人から〜〜と言われてずっと気になっていました」と

仰る方がいらっしゃいました。

ものすごく不安になってしまったんだろうと思うと同時に

そうやって誰かを不安にさせている人に対して怒りを禁じ得ませんでした。

 

これまで何人かの人に「算命学って寿命がわかるんですよね?」って聞かれたことがあります。

もしかして偉い先生に師事したら一子相伝的に教えてもらえるのかもしれませんが

私はそれは知りません。

仮にこの先それを知る機会があったとしても、

人の命に係わることは占いの禁忌事項だと思っているので

それをすることも、できるよと吹聴することもやるつもりはないです。

 

算命学の勉強をしていて本に書いていることをそのままあてはめると

身も蓋もないことばっかり書いてあって

これじゃ何もない普通の人を探す方がよっぽど大変だ!と思った覚えがあります。

(余談ですが、私の場合は普通の結婚をすると夫に異常が出るとか

親に大切に育てられると障りが出るとか、離婚又は死別によって運気が上がるとか

書いてあるよ)

 

算命学が帝王学として用いられていた時代は、そうやってたくさんの人の中から

もっともふさわしい一人を選び出していたのかもしれませんが

今はそういう時代ではありません。

 

占いの解釈は一つじゃありませんし、占い師も一人じゃありません。

自分がいちばんしっくりくる人を選べばいい、不安にさせる人の言葉にしばられなくてもいいです。

占いは呪いじゃなく、

どうしたら自分らしく幸せに生きられるのかそれを知るために使うツールです。

そしてそれを口にした相手がプロの占い師じゃないなら

聞く耳はもたなくてもいいと思います。

 

 

 

この年末年始、私はずっと死んでしまった人のことばっかり考えたり

聴いたり読んだりしていた挙句、自分が死ぬ夢までみて

なんでかなとずっと考えていました。

 

自分の母親が27歳で亡くなっていることもあって

幸せな人生だったのかな?悔いはなかったのかな?と考えてしまう。

人間は皆いつか死ぬ、これだけはどんな人にも平等に課せられた定めです。

だったらそれを精一杯生きることが、生まれてきた使命や意味なんじゃないか。

 

一生懸命生きるということ(それは好きなこと楽しいことだけして生きるという意味では無いです)

持って生まれたものを最大限に活かすこと

たくさんの人にそれを知ってもらうためのお手伝いをしていくんだな、と思いました。

 

死ぬとき後悔しないために本気で生きる、とか大げさだなと思いますが

私は太陽にトラサタ天体全部アスペクトしてるので

なんとなく幸せだ〜というゆるさがなくて極端な出方をするのかもしれません。

 

Posted by 八雲あかね at 00:25 | 日々の徒然 | - | -

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