貫索石門あるある

先日のお茶会の時、会の終わりの雑談中に

『好きにすれば』という言葉で話が盛り上がりました。

 

子どもとか友達が、「ねえこれどっちがいいと思う?」と聞いてきたときに

「好きにすれば」と言うと易しくないって言われる。

 

はい。これは貫索石門あるある案件ですね。

 

貫索や石門を持っている人にとって何より大事なのは 自分がどうしたいか です。

自分なら好きなものを自分の意思で選びたい。だからあなたも自分の好きな方を選べばいい。

という前提あっての「好きにすれば」なわけです。

意志を尊重されることが嬉しいこと だから 相手の意思を尊重するんですよ。

 

もうちょっと毒強めで行くと

そもそも貫索石門はマイワールドで生きているので、他人はどうかっていうのはあまり関知しない。

どっちがいいと思うかという相談をする、という概念があまりない

例えば、どこかにお出かけするために旦那さんに子供をみてもらわないといけない 状況の時

「行きたいんだけどいいかな?」とは聞かない。

「行きたいんだけど、どの日だったらいい?」と聞く。

〇〇に行きたい、という行動に関しては曲げる気が無い(いかない選択肢が無い)

なので、どっちがいい?とか聞く意味が分からない。というのが本当のところ。

 

 

マイワールドが強い、という流れで

自分のことを表現するのが苦手、という人も多いです。

「私は自分のやりたいことを、やりたいようにやって楽しいです。以上!」と言う感じ。

他人がどうかは関知しないというのと同時に、他人も私に興味なんてないでしょう?という感覚。

 

私は自分自身が貫索なので、上記のようなことを割と素で思っているし

貫索や石門の人たちの距離感はとても楽なんだけど

別の日に禄存プロ‼ともいうべき人に会ってお話を聞いてる時に

人と関わって生きると世界が広がるんだな〜ということを強く感じました。

 

貫索石門は、例えていうなら懐中電灯みたいな感じ

自分が進みたい方向は明るく照らすけど、それ以外は見えない

気ままで自由に生きられるけど自分が体験したこと以外のことは知らないまま。

視界(世界)は狭い。

 

誰かと関わって生きるのは面倒なこともあるけど

自分が体験できなかったことを間接的に知って広がる世界もあるんだなと知って

なんかこれまでもったいない過ごし方をしてきたのかも、と少し反省をしました。

 

 

冒頭の「好きにすれば」発言も

どっちもいいね(似合うね・美味しそうだね)とか

私はこっちがいいと思うな、とかを加えたうえで言えばもっと感じがいいよね。

え〜そんなのめんどくさい、かもしれないけど

これはこちらに判断をゆだねられてるわけじゃなくて、枕詞みたいなもの。

 

 

ちょっとだけ譲歩する緩衝地帯みたいなもの。

自分の世界に引き込む or 相手の世界に飲み込まれる という二者択一の世界じゃなくて、

お互いの世界を守るための物、なのかなと思います。

自分がいいと思う方を選べば

Posted by 八雲あかね at 09:42 | 算命 | - | -

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