旅は人生の縮図

この世に生まれたときに与えられた命(=時間)には限りがあること

頭ではわかっていても、日々の生活の中ではなんとなく

それは今じゃないだろう、と意識しないようにしてる部分がありますよね。

 

自分のやりたい事や好みを明確にしてそれを真摯にやるとか

1年365日1日24時間やり続けるのは、正直疲れるから

まあいいかーと流されて生きる方が楽なことも多い。

 

 

先日観たこの映画みたいに、余命宣告されて残りの時間を意識すると

自分の人生大事にしなくちゃとか、与えられた時間を有意義に使わなくちゃとか

思い知らされる。

 

 

余命宣告まで行かなくても

旅に出るっていう行為も人生の縮図みたいなものだな、と思います。

 

期間が限られている

自分が自由に使える時間に限りがあり

食事できる回数にだって限りがある

そのなかで、自分がどんなことをしたいどこに行きたい何を食べたいか

真剣に考えるよね。

 

よくわからないままなんとなくでも旅行はできるけれど

何かしらのテーマを持っていく方が楽しいんじゃないか。

大げさなものじゃなくてもよくて

憧れのあのホテルに泊まってみたい でも

あの博物館でじっくり展示が見たい でも

あれこれ食べたいものがある でも

なにもしないをしにいく でも。

 

旅は、そんな自分の趣味趣向をちゃんと見つめ直す機会なのかなと思う。

 

 

本当の本当は、

日々、自分は何が好き?どうしたい?と意識して生きるのが理想だけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

Posted by 八雲あかね at 09:41 | 日々の徒然 | - | -

DOが大事。

やったらどうなるか

これをやったら何になるか

ちゃんとできるかどうか

 

そういうことをいったんヨコに置いておいて

考えない。

とにかく動いてみる。

うまくいかなかったらその時に次の手を考える。

 

 

よくあるケースは

 

こうしたらいいよ、と言われたときに

でも〜、だって、と言ってなかなか動かない

 

 ↑

 ↓

 

完璧にやろうとしずぎる

(そして挫折するパターン)

 

なぜか真ん中がすっぽり抜けている・・

 

自転車の乗るのだって、お料理をするのだって

本を読んだり、頭で考えてるだけじゃできるようにならない

なんどもやってみる、それだけ。

 

 

Posted by 八雲あかね at 15:31 | 日々の徒然 | - | -

めぐりてまわる

昨日はこちらの映画を観てきました。

 

本当にやりたいことは

叶えたい夢は

一緒にいたい人は

 

で、どんなふうに生きたいの?って考えさせられる。

 

映画では、余命宣告を受けたことが

それを考えるきっかけになっているけど

本当は普段から意識しておいたほうがいいよね。

 

人間はみんないつか死ぬ、例外なく。

なんとなく「まだ死なない」と思っているだけで

その日がいつ来るかは誰にもわからないから。

 

今年のお正月明けに、自分が死んでいく夢をみた。

うとうと眠っているような感じで

死ぬ瞬間というのは、

もう呼ばれても目を開けたり返事をしたりしたくないと思ったとき、という

ものすごく静かで穏やかなものだった。

(だからこそリアルで今でもその夢を覚えている)

 

そのせいか今年はずっと死生観とかどう生きるかとか

そんなことばっかり考えていた気がする。

本当にやりたい事をやり、本当に好きなことだけを選んでいくのは

楽しくもあるけど時にしんどくもある。

だんだん妥協ができなくなっていくから。

 

自分がどんどん尖っていく気がして、本当にいいのか迷うこともあるけど

このごろ思うのは、いっかいとことんまでやると反転する、ということ。

 

 

 

陰陽太極図の

陽極まって陰に転じ、陰極まって陽に転ず もそうだし

 

インフィニティ(無限)のマークが表すことも同じだ。

振り切って、反転して初めて、中庸(真ん中)がわかる。

ここが真ん中(自分自身)ということがわかれば

もう不安になることも、恐れることも無くなる

その状態になったらいろいろなことを委ねることができて

本当の意味でケセラセラ(なるようになるさ)という境地にいけるんじゃないか。

 

そういえば、昔

「八雲あかね」という名前をつける前

ほんの短い間だったけど「ケセラ」という屋号を使っていたことがあったな。

「その名前は軽すぎる、もっと重厚感があって漢字のほうがいい」と

反対されて変えちゃったけど。

 

Posted by 八雲あかね at 11:41 | 日々の徒然 | - | -

自分を生きる

友人に誘ってもらって『波動カラー』というのを受けました。

 

似合う色を見つけるパーソナルカラーとはちょっと違ってて

わかりやすく言うと、自分の細胞に一番しっくりくる色を見つける 

小難しく言うと、潜在意識の中に組み込まれている

自分の資質や才能の元となるものを色で可視化する もので

その色を身に着けていたり身近に置いたりすると

自分がとても自然な状態で本来の力を発揮できる

 

たとえば算命の中心星が○星だから、こういう性格が出る

生まれたときの星座が○座だから、こういう行動パターンをとる

それを色でグループ化し、それぞれのグループに姫の名前をつけてあるものです。

 

面白いのは、自分にはどの色が合うか(何姫のグループか)は

自分が見て顕在意識で判断するんじゃなくて

目をつぶった状態でOリングテストをして判断するところ。

合わない色のものを持った状態だと、

頑張っていても本当にあっけなく指が外れてしまうのに

合った色を乗せた状態だと、全然力んでないのに指が外れない。

 

波動カラーがどんなものかは、私がだらだら説明するより

受けてみた方が早いです、絶対。⇒ 波動カラー レプラさんのブログ

 

 

昨日は8人で一緒に受けて、自分以外の人のタイプやその説明も一緒に

聞いているのですが

言い方は悪いですが、観察しているのがとても興味深かったです。

 

あなたは○姫、合う色はこういうのだよと説明されて

こういう色好きなのでしっくりきます、という人。

前に違うところで似合うと言われたのと違うのでちょっと戸惑うけど

これから少しずつ取り入れていこうと思います、という人。

説明を聞いても、ん〜と首をかしげている人

好きな色が全然入ってないんだけどどうしたらいいの?っていう人

違う人の色やタイプを「いいなぁ」と羨ましがる人。

反応がみんな違って面白い。

 

すぐに納得できない、この色は合わない。そういう人はたいてい

「本来の自分」と、「こうあるべき理想の自分」とが

ちょっと違っているんでしょうね。

西洋占星術でいう素の自分(月)とこう在りたい自分(太陽)のギャップみたいな。

(太陽と月の場合はどちらも自分だけどね)

 

他の人が羨ましくなっちゃう人は、大前提として自分が持っているものを認めてない

でもさー、どんなに羨ましくても他人の物は自分の物にならないし

もし手に入れたとしても、今度はまた別の「持っていないもの」に目が向いて

いいなぁ、と思う。というのを続けるだけなんだよ。

 

占いでもそうだけど、まずいちばん大事なのは

「これが自分」って認めることだよ。OKを出すでも諦めるでもいいけど

私はこういう要素を持った人間なんだな、と受け入れること

そして自分が持っている要素をいかに活かして生きるかを考えること。

 

陽転お茶会でも言うけど、自分が持っているものを活かすのが陽転

私の持ってるものなんてどうせ、、あの人の持ってるものがいいなぁって

拗らせちゃうのが陰転。

どっちを選ぶかは自由だけどね。やっぱり陽転して生きていきたい。

結局それが、潜在意識が望んでいる生き方に繋がるんだと思う。

 

***

 

ちなみに私は、シルバーのグループで

姫タイプは「ジャスミン」でした。

 

普段家計を管理している財布は、自分に合っているものだったので

仕事用に使う財布と、スマホのケースも自分に合う色の物にしようと思って。

 

 

キラキラシルバーの財布

 

 

ジャスミンの色見本そのままのスマホカバー

 

早く届かないかな〜楽しみ。

 

 

 

 

 

 

Posted by 八雲あかね at 18:20 | 日々の徒然 | - | -

勉強に終わりはない

昨日は、なぜか急にむくむくと衝動が湧いて

今までに習った算命のテキストのおさらいをしていました。

 

勉強でも仕事でもそうですがなにかを習得するとき、私はまず概略や骨組みを知りたいのです。

やりたいこと(知りたい事や目的)がまずあって、

次にそれをやる(知る)にはどうしたらいいかを考える。

取扱説明書を1ページ目から順に読まず、知りたい機能のところだけ読むタイプ。

 

仕組みが知りたいし、仕組みが作りたい。

いろんな仕事をやってきましたけど、一番楽しかったのは

データベースを構築して、帳票が自動的に発生するシステムをつくるという業務に携わった時と

作業要領書(マニュアル)をつくる仕事でしたね〜

定型のフォームに入力する、とか

この手順通りに作業すればOK、という仕組みつくり。

(逆に一番嫌だったのは秘書業務。他人の都合に振り回されるのはしんどさMAX)

 

ただこのやり方には欠点があって

自分に関係ない(と思われる)ことは知らないことさえ気づかない。ということ。

 

昔、で始めの頃のパソコンを使ってプログラムは組めたけど

ワープロは使えなかった、とか。

ワードやエクセルも、必要な作業をすることはできたけど

便利な機能(右クリックとかショートカットキー)は知らなかったとか。

でも、できないということを理解したうえで学ぶと知識が定着するというのも

実感しましたが。

 

 

話が随分それちゃいましたが、昨日テキストのおさらいをしながら

講座を受けてる時は???だったことも、今なら理解できたりする部分や

覚えているつもりでも、抜け落ちてるところに気が付いたりとか。

改めて勉強面白いなと思ってる自分がいました。

 

来年亥年がくると、自分の命式とあわせて、亥ー子ー丑の方三位ができるし

この前気学の先生にも、来年私の星は北に来るから勉強にいいよ、と言われたし

ネイタル3ハウス山羊土星の書き換えの年でもあるから

来年は学ぶことを意識してみようかと思います。

 

新しいことを始めても、今やっていることを見直ししても

いろいろ発見することがありそうです。

単発の講座とか、いろいろ企画してみようかな〜

なんだか楽しくなってきた!

 

 

Posted by 八雲あかね at 18:22 | 日々の徒然 | - | -

奪う?それとも循環させる?

FBで超ゆる募していた「私と何か交換して」企画終了しました。

 

結局、交換が成立したのは2名様でしたが

それぞれに楽しく豊かな時間を過ごさせていただきました。

ありがとうございます!

 

やりたい!って申し込んでくださっても、何していいかわからないからやめるという人もいたし

私一人でなんとかできない規模のことを求められてお断りしたケースも。

こちらのできることを、なんでもいいよじゃなく、具体的に絞った方がわかりやすいかも。

個人的には面白かったので、また気が向いたらやろうかな。

 

やってみて感じたことですが、その時間はとても豊かでした。

なんらかの技術や時間を提供する、その対価として何かを返す

それは技術かもしれないし、お金という場合もある。

金額以上の何かがそこにあった感じです。

ニトリのCMじゃないけど「お値段以上」の価値がそこには生まれる。

そんなことを感じました。

 

無料で提供するサービスってあるじゃないですか。

あれは、無料でも大丈夫な理由が提供する側にある。

宣伝のため、日ごろの感謝として、新しいメニューの手ごたえを見るために、

自信をつけるために。

万年筆で字を書きたいという目的のため(←これは私ね)

 

無料のサービスを受けることは悪いことじゃないです。

でも無料のサービスは受け取るけど、対価を払ってサービスを受けることはしない

というのは、まあ、損はしないけどそれ以上の豊かさは享受できないんじゃないかな。

出した以上のものは受け取れないと思うから。

 

お互いが相手に対して、ありがたいな嬉しいなお返ししよう、という気持ちでいると

そこにプライスレスの価値がどんどん乗っていく感じ。

鑑定料をおまけしたりみたいなことはしないけど、

やっぱり良くしてくれる人や、喜んでくれる人には

新しいメニューやWSを思いついたときに優先的に声をかけたりはするかな。

 

自分は何もださない、けれどもらえるものは欲しい、という在り方は

短期的には得しているように感じるかもしれないけど

長い目で見たとき、循環させている関係性の方が何倍も豊かなんじゃないか

そんな風に思います。

 

 

あとね、占いとかヒーラーとか、見えないものを仕事にしてる人と

友達になると何か得すると思ってるひとがもしいたら、それは違うよ。

 

友達として相談されたら「あなたがやりたいようにやればいいよ!」としか言わないし

同業の人同士でも、どちらかが一方的に相談もちかける、ってしない。

お金払うからやって、と言う。

お返しがお金じゃなくて、代わりにあれやって欲しい、みたいなことはあるけど

それは日ごろから相手の仕事を尊重して、お互い様と思っているから成立すること。

 

あかねさん何歳ですか?とかどうして占いやろうと思ったんですか?みたいな

世間話は答えるけど、今天中殺なんですけどどうしたらいいですか?とか

○星持ってるけどこれってどうですか?みたいなことは

有料ですけどいいですか。って言うよ。

お金を払って来てくださるお客様が、一番大事だし

そういう方たちに失礼になることはしたくないから。

 

友達でも友達じゃなくても、

知識や時間やスキルを持っていこうとする人より

尊重してくれる人の方を大事にしたくなるのは、当たり前のことだもんね。

Posted by 八雲あかね at 18:22 | 日々の徒然 | - | -

ちょっと早いけど今年の振り返り

今日は午前中、気学の先生のところに伺ってきました。

来年のざっくりしたスケジュールを立てたくて。

 

来年は北東が○。でも今年のような大大大吉方というのではないそうで。

時期的には3月と12月。

でも北東方面で、その時期だと雪で行けないところもあって

そういう場合は、良くも悪くもない時期に行けばいいと言われ

 

たしかに算命の身弱・身強の話をするときも中庸がいちばん制約がないよと

話をするしね、方角もそういうふうに考えて良いんだ〜と

またひとつ目からウロコを落として帰ってきました。

 

北東方面は、ものすごく良い日もない代わりに

場所の選択肢はとてもたくさんあるので、計画を練るのが楽しみです。

来年は自分の場が北(勉強に良い)なのでいろいろ勉強したり書き物をしたりして

過ごすのが吉だそう。

 

今年は変化の年、手放しの年。

年明けにはサタリタもやってくるから、いろいろ身軽になりたいのもあるし

私は今年どんなことを変えただろう。

 

やっぱり一番大きいのはオフィスを手放したこと。

オフィスを手放す時に、見栄や虚栄心も一緒に手放した。

それから、ちゃんとする・頑張るを極力やめた。

自分の正しさを大上段に構えて振り回すこともやめた。

人間関係も随分変わったかな。

前は正しいか正しくないか白黒をはっきりさせなくちゃ!と思ってて

無理な時は自分からバッサリ切ったりしてたけど

今年は抗わないことにした。来るもの拒まず去るもの追わず。

購読しているメルマガに、これからは世界が分かれて、それが交わらなくなっていく

と書かれているのを読んで

私が感じてたこと(=キャニオン渓谷論)は間違ってなかったんだと再確認。

FBも、前は興味のない分野の投稿が目に入らないように

フォローを外したりしてたけど

見たくないから必死で防御することは、ものすごく見たがってると同じだと気づいて

下手に小細工するのはやめにした。

あ、あとは、天中殺に何か始めるとどうなるか?みたいな人体実験(笑)はやめて

開運に良いと言われることをやるとどうなるかという人体実験に変えたね。

 

こうしてみると色々やってる。

現実面での大きな変化はよくわからないけど

精神的にはすごく軽くなった感じがしています。

秋分の日以降は、新たな変化をしていくというより

これまで変化してきたことを来年に向けて定着させていくようなフェーズに入ると思うから

その前に振り返りができて良かった。

 

 

余談ですが

台湾行くなら、この9月と10月がいいよと言われて

めっちゃ心が揺れている今(笑)

 

 

Posted by 八雲あかね at 13:59 | 日々の徒然 | - | -

自分に価値をつける時代

昨日、髪を切りに行ってきました。

私が通っている美容院は、いろんな人の社交場のようになっていて

美容以外の用件でも常に誰かがいる。

 

昨日も「あかねさんが来るなら顔見てから帰ろう」と

お茶を飲みながら待っててくれる人がいたり

なにかの荷物を受け取りがてら訪ねてきた人と話が弾んだり。

水星逆行ぽく、お久しぶりの人にも会えました。

 

その場で会う人、そのとき話題になることは、いつも何かしら共通点があります。

今日は『自分を出していく』というのがテーマだったような気がします。

 

物を買うとき、何に価値を求めるかは人それぞれです。

安いのがいいという人もいるし、品質だという人もいる。

そんななか、誰から買うかというのがこの先の時代大きなファクターになると予想されます。

 

独自の物を出しているかどうかってだけじゃなくて

同じものを同じ値段で買うんだったら、この人からがいい

そんな風に思ってもらえるかどうかが大事なんじゃなかろうか。

 

こんなことみんな知ってるだろうし、とか

こんな話個人的過ぎて知りたい人はいないかもしれないし、とか

自分で制限して出さずにいることのなかに宝は埋もれているのじゃないかしら。

だからもしかしたら万人受けはしないかもしれないけれど

同じような想いを持っている人の胸にはどストライクで届く。

 

これからは自分自身が商品になっていく時代になるんだな〜

だったら、自分をいかにストレートに出していけるかがカギだよね

なんていう話で大盛り上がりになりました。

 

そうすると結局、自分ってどんな人間なんだろう?ということを

考えざるを得なくなる。

 

話してる時、「あかねさんでもそんな風に迷うんですか!?」と驚かれたけど

どうしたらいいのか〜と考えている時間は人より短いと思うけど

普通にグルグル迷いますよ。

 

私は今57歳なので、生きてる年数が長い分

(こういうときはこうなるだろう)という経験則が多いだけで

他の人と同様に、今日という日を体験するのは今日が初めてだよ。

で、経験則の多さは時として、こうやっておけばいいだろうという

守りのパターンに陥りやすいということでもあるわけで。

 

そういうこともまるっとひっくるめて、「これが私」という色を出していきたいし

他の誰かのその人らしさを出せる手助けができたらいいな、と思ってます。

 

 

 

本文とは何の関係もないけど、コメダの新商品クリームぜんざい的なやつ。

小豆の上にはコーヒーがかかっています。

Posted by 八雲あかね at 19:16 | 日々の徒然 | - | -

とりあえず車に乗ろう、話はそれからだ。

着物のお譲り会、無事に終了しました。

私の私物の着物も含めて14枚の子が、新しい持ち主さんの所にお嫁入りしました。

 

ゆるゆる開催した4日間で、3組4名様が来てくださいました。

別に意図したわけでもないのに一日1組、

お茶を飲みながらお話して、気づいたら2〜4時間喋ってたという感じです。

なんとなく時代の転換期や、私自身のサタリタなどもあって

ちょっと自分の人生で節目に来ている人と話す機会になった感じ。

 

昨日来てくれたお客さんはシモーヌこと峯田恵美子さん

引っ越して同居になったんだよね?というような話から

自分の居場所が欲しくてね〜という流れになって。

 

私も最初は自分の場所(講座ができるところ)が欲しいところから

オフィスを持つことになったので

あ〜わかるわかる、となり、どういう経緯で部屋を借りたか

お金の問題とどう向き合ったか、みたいなことをいろいろ話しました。

 

そしたら、最初は

「今は居心地が悪くて〜」「いつか自分の場所が持てたらいいなぁ」と言っていたのが

だんだん

「それならできるような気がしてきた」

「やってみる!」と

表情と一緒に言うこともどんどん変わってきた。

 

その時のことをご本人がブログに書いてくださっています。

夢をリアルにするには、経験者の話を聞くがいい♪

 

これを読みながらなんとなく思いだした。

部屋を探したとき、最初の不動産屋で紹介してもらえなくてガッカリした時

自分の条件を一切妥協せずに申し込んで、それでだめだったら諦めよう

そう決めて探したら、部屋を見つけて問い合わせしてから契約まで5日という

速さで場所が決まったこと。

 

そのオフィスを手放す時も、ずっとグダグダ悩んでいたけど

よし決めた、もう手放す!と決めたその夜

息子が職場異動になって夜勤がなくなる(=家が使える)ことになった。

 

そうなんだよ、神様なのか宇宙なのか潜在意識なのか

とにかく私たちの人生が動くときって

「決める」ことと「行動すること」なしには始まらない。

 

どこかに行きたいな〜と思ってるだけではどこにもたどり着けない

とにかく車に乗ろう。エンジンをかけよう。

そしたらナビがいきたい方向へ案内してくれる。

 

私は私で、オフィスを手放したことを心のどこかで

失敗って思っていた部分があったから

どんなことが楽しくて、何が不安だったかみたいなリアルな話が

誰かの夢の後押しになるんだ!っていうことに目からウロコで。

 

着物のお譲り会っていうのは、本当にきっかけに過ぎなくて

自分が決めている制限(怖いとか、無理とか、やったことない)を

それぞれが外していくために、心を覗き込む時間だったみたい。

(やっぱり土星案件(笑))

 

 

Posted by 八雲あかね at 08:45 | 日々の徒然 | - | -

顧客サービスってむずかしい

ここ数日《顧客サービスってなんだろう》ってことをずっと考えています。

 

新しいメニューを出した後は特に

私が「良いと思ったこと」と

お客様が「こうして欲しいと思ってること」のギャップが

次々明らかになっていって、それを埋めていく作業が

すごく勉強になったりする。

 

自分が提示した条件とは違うイレギュラーなことを求められた時に、

目の前にいるその人に満足してもらえるよう

柔軟にあらゆる対処をするっていうのが心配りとか

ホスピタリティというんだろうな、とはわかってるんだけど

私はそのとき同時に、イレギュラーな対応を求めなかった人のことを考えてしまう。

 

たとえば1万円のメニューがあったとき、

「おまけして」という人におまけをしてあげたら

当たり前だけどその人は喜ぶ。

でもそのとき私は、おまけを要求しないで受け取ってくれた人に対してすごく申し訳ないと思う。

たぶん山羊子の性質でもあるんだろうけど、全員にできないことは誰にもしない、ということが誠実と思う。

目の前の人が私に不満を抱いたとしても。

 

逆に、1万円のところ3万円払うから特別扱いして欲しいと言われたら、それは「はい喜んで」ってやる。

仕事っていうのはサービスと対価の等価交換だからね。

 

で、心配りっていうのは「してもらったら嬉しいこと」であって

「やるべき」って要求することじゃないと個人的には思ってる。

だって「私のニーズに合わせて」って要求することは

極端な言い方をするとこちらのやりかたに合わせる気はないってことでしょう?

 

こうしたらもっとよくなるかな、と日々いろんなことを

変えていってると、次から次へと想定していなかったことを求められて、

これは私のキャパを広げるために試されてるのかなと思うと同時に、

最初に受けてくれた人ごめんねと、申し訳ない気持ちになる今日この頃です。

 

Posted by 八雲あかね at 15:12 | 日々の徒然 | - | -

Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< December 2019 >>

Recent Entries

Categories

Archives

Profile