視点が変わると気づくことがある

 

気分を変えたくなって、スマホのケースを買い替えてみました。

 

左が仕事用、右がプライベート用

 

この写真を撮って、FBに投稿しようとしてふと思う。

なんで私はスマホが2台必要なんだろう?

 

もともと、「八雲あかね」という名前を付けたとき

仕事とプライベートは完全に別物にしたいと思ったから2台にした。

だからここ何年かは2台持ちしていて

ケースを買うときも2種類選ぶことに何の疑問も持ってなかったけど。

 

スマホは2台持ってないと困る、という思い込みが

こうして新しいケースをつけて印象が変わったら「???」ってなった。

 

いつもはあまり気にしてなかったんだけど

出かける時、何かあったときの連絡用に持って歩きたいのはプライベート用

でもカメラ機能はiphoneの方がいいし、と

荷物増えて重いな〜となんとなしに面倒くささは感じてた。

 

一応、手元に残すのは仕事で使ってるiphoneのほう

LINEだけは、プライベートで使っているアカウントの方に統合するか

全く新しいアカウントで作り直すか考え中だけど

8月くらいまでには1台に戻そうかなと考えています。

 

 

Posted by 八雲あかね at 14:59 | 日々の徒然 | - | -

罪悪感の塊

うちは、夫婦で旅行すると3日目に喧嘩するという

『3日目ジンクス』というのがあります。

 

一昨年ハワイに行ったときもそうだし、今回の台湾もそう。

原因はいつも同じ。

行先とか食事する店とか、「任せるわ」と丸投げされたうえにそれを尊重されないこと。

(きっかけはだいたいものすごくくだらない出来事)

で、「もうあんたとは一緒に旅行しない!」とか私がぷんすか怒る。

日本に帰って、ちょっと冷静になって(私にも原因があったな)と反省する

そういうパターン。

 

今回も、なぜ同じことを何度も繰り返すのか?と考えていて出てきたのが

夫婦そろって、相手を下に見ている、ということ。

夫は私のことを《いろいろ丸投げして面倒なことやらせて、それに文句を言ってもいい相手》と思ってるし

私は夫に対して《せっかくいろいろ考えてやってあげてるのに、言った通りにしないで文句言うなんて生意気》と思ってる。

たぶん、ものすごく無自覚に。

 

掘り下げて考えると、私が自分自身のことを《大事に扱わなくてもいい存在》にしてるからなんだろう。

そう気づいたときに、我ながら愕然としましたね。

 

こちらの記事でも書いたように、本当にいろんな出来事はブーメランみたいに返ってきて

お客様に「もっと自分のことを好きになっていいよ」「もっと自己肯定感あげていいよ」と

繰り返し言うのは(そういうお客様がくるのは)

自分の自己肯定感が低くて、自分のこと好きじゃないからなんだろう。

本当に心から自分のことが好きで、自己肯定感が高かったら

その状態が当たり前だから、できていない部分にフォーカスしない

(あかね理論ー本物は無自覚)

 

この際だから思い切り内省して、もっと自分のこと掘り下げてみようと思い立ち

あれこれやってみたら、まあ根深いこと。

私なんかが生まれてきちゃってごめんなさい、こんな私が幸せになって良い訳ありませんよね

みたいな感覚がまだ残ってる。

それでも、昔はもっと感情が噴き出して大変だったから

まだそんなふうに思ってるんだな、とただ観察できるようになっただけ進歩してる。

 

なにかを丸投げされることは決して悪いことじゃない。

問題は、任されたり丸投げされたときに

「相手の期待に応えなくてはならない」と思ってしまう自分の思考パターンの方。

自分の潜在意識はなかなか手ごわい。

 

 

 

 

Posted by 八雲あかね at 15:23 | 日々の徒然 | - | -

人生はブーメラン。自分が投げたものでできている

5月はほぼ吉方取りの記事しか書いてない(5記事中4記事ww)

連休もあったし、稼働日数は少なかった。

 

でも合間に通常の仕事はしていて、なんだかんだで3月4月より

5月の方が売り上げがあったりする。

 

なんか、『頑張らなければ!!』と力んでない方がうまくいくのか

開運のお参りのご利益があったのか、定かではないけど。

 

金運が良くなりますように、とお参りした後

なぜか立て続けにお金を拾いました。

1回目は台湾のタクシーで、乗った瞬間シートに5元。

セントレアから帰るバス停に100円。

 

たぶんね、金額云々じゃないんだろうなと思います。

無いと思ってる、だからもっと欲しいと思ってる。

でもちゃんとあることに気が付いてね、っていう。

 

 

お土産代わりにパイナップルケーキの食べ比べ会をやったら

家で用意した以上のお菓子や果物をいただいたし

 

その日来られなかった友人に届けたら、お礼にとまたお菓子をもらったし

お客様からオリジナルブレンドのアロマ《Amazing》をいただいたり。

 

いろいろな形でちゃんと循環しているんだよね。

 

 

あと、恒例の3日目ジンクスで喧嘩したことで

今回結構ダメージくらったみたいで

あんまりモヤモヤするので、夫への罵詈雑言を書きなぐってやる!!と

意気込んで、ノートにあれこれ書いていたんです。

 

私は自分が尊重されない、大事に扱われないことに対して腹を立てていたんだけど

結局私自身が、「自分を大事にしてない」「尊重してない」から

そういう出来事として具現化されるんだ、と気付いてしまってチーーンとなってる今。

 

書く、という行為は、吐出している状態のときは気持ちいいけど

ある一定のところを抜けると思いがけない本音や思考パターンが出てきて

私そんなふうに思ってたんだ、とか

結局問題は自分自身にあるのか、と気づいてぐはっ!となる。

書くのは自分と向き合うことでもあるからね。

 

無自覚に、これって当たり前って思っている価値観とか概念とか

それを全部見直して、要らないものは手放す

たぶんそれがサタリタ前の宿題なのかもしれません。

 

先日来てくださったお客様は、まさに山羊太陽の上に冥王星が乗ってる状態で

「これまではこうだったという思い込みを捨てる時ですよ」なんて話しながら

頭のどこかで、(これは特大のブーメランだな)と思ってた。

 

 

そう。

全部ブーメランみたいに、自分が投げたことがそのまま返ってくる。

・・・・ふぅ。

 

Posted by 八雲あかね at 10:12 | 日々の徒然 | - | -

顧客サービスってむずかしい

ここ数日《顧客サービスってなんだろう》ってことをずっと考えています。

 

新しいメニューを出した後は特に

私が「良いと思ったこと」と

お客様が「こうして欲しいと思ってること」のギャップが

次々明らかになっていって、それを埋めていく作業が

すごく勉強になったりする。

 

自分が提示した条件とは違うイレギュラーなことを求められた時に、

目の前にいるその人に満足してもらえるよう

柔軟にあらゆる対処をするっていうのが心配りとか

ホスピタリティというんだろうな、とはわかってるんだけど

私はそのとき同時に、イレギュラーな対応を求めなかった人のことを考えてしまう。

 

たとえば1万円のメニューがあったとき、

「おまけして」という人におまけをしてあげたら

当たり前だけどその人は喜ぶ。

でもそのとき私は、おまけを要求しないで受け取ってくれた人に対してすごく申し訳ないと思う。

たぶん山羊子の性質でもあるんだろうけど、全員にできないことは誰にもしない、ということが誠実と思う。

目の前の人が私に不満を抱いたとしても。

 

逆に、1万円のところ3万円払うから特別扱いして欲しいと言われたら、それは「はい喜んで」ってやる。

仕事っていうのはサービスと対価の等価交換だからね。

 

で、心配りっていうのは「してもらったら嬉しいこと」であって

「やるべき」って要求することじゃないと個人的には思ってる。

だって「私のニーズに合わせて」って要求することは

極端な言い方をするとこちらのやりかたに合わせる気はないってことでしょう?

 

こうしたらもっとよくなるかな、と日々いろんなことを

変えていってると、次から次へと想定していなかったことを求められて、

これは私のキャパを広げるために試されてるのかなと思うと同時に、

最初に受けてくれた人ごめんねと、申し訳ない気持ちになる今日この頃です。

 

Posted by 八雲あかね at 15:12 | 日々の徒然 | - | -

手相の線が消えた!?

ウワサには聞いていましたが、今年の花粉はひどくないですか?

私は1日2回飲むタイプの薬を使っているのですが

あれってちょうど花粉がひどくなるタイミングのときに

薬の効力が弱まる気がします。

うまく乗り超えられたら大丈夫なんだけど、そこで

「目が痒い!」「ムズムズする!」ってなると、そこから半日もうダメです。

 

先日お友達に誘ってもらって、名古屋のNHK文化センターで開催された講座を聴講してきました。

こちら。

13時から17時まで、3部構成でしたが、面白くてあっという間でした。

 

この日は雨だったので傘を持って歩いていたんです。

名古屋に向かう道中、右手でカバンを持ち左手は傘を杖のようにして

電車の座席に座っていたのですが

なにかのタイミングで左手を見たら、財運線の部分が少し赤みを帯びてくっきり浮き出てた。

傘を持っていたせいだと思うけど、それでもやったね!と思い、右手を見たら

右手の手のひらは、妙につるっとしてました。

もうちょっといろんな線があったはずだし、もうちょっと濃かったのに

感情線と生命線と頭脳線以外の線がなんか薄くて良く見えない。

 

諸説あるようですが私は基本的に

左手は意識、右手が現実、という解釈をしていて、それでいくと

頭ではいろいろ考えているけど、現実が動いてない状態なんだなと受け止めました。

 

毎日、自分の好きな本を読んだり動画を見たり音楽を聴いたり何か書いたりしてる

この日だって、興味深い講座に参加しに向かってるんだけど

「わぁ、楽しかった〜」で完結しちゃってて

それを使って何かしたり、発信やアウトプットはしていない

自己満足、自己陶酔してるからじゃ??と思ったわけです。

 

ブログも前より書かなくなったし、SNSへの投稿も減ってるしなー。

先月までの引きこもり期間の影響なのかな〜

ただ、先週から『人と会うモード』になってきてて

たくさん話したり笑ったりするようになっているので

また来月あたりには手相が様変わりしているかもしれません。

 

 

Posted by 八雲あかね at 18:37 | 日々の徒然 | - | -

向き不向きの問題

私のところにも憎いあんちくしょうがやってきて

春なんだな〜と実感しています。

 

暖かくなるとか、花が咲き始めるとか

美しい事象はいくらでもあるのに

鼻のムズムズや目のかゆみで季節の移り変わりを知るなんて

まったくもって風情の無いことです。

 

私の水星は山羊座(活動宮)にあるので

だいたい思い立ったら、その勢いのままでわーっと書くというのが

ブログを書くときのスタイルなのですが

ちょっとじっくり考えたり、ネタを熟成させて書くということも

必要なんじゃないかと考えて、チャレンジしていました。

 

メモ帳なりブログの下書きに思いつくまま書いて

推敲したり熟成させようと試みてみたんですが

どうもうまくいきません。

下書きにとってあった文章も、なんかもう違うなーって感じるし

時間を置くとその内容自体、もうタイミングじゃないなって感じてしまう。

あとノートに書くと、それで結構満足しちゃってブログにたどり着けない

みたいなこともあるし。。

 

ちゃんとためになることを書こうと気負っていたけど

これまで通り、主観だらけの書きなぐり式でやっていこうと思います。

 

 

 

Posted by 八雲あかね at 19:10 | 日々の徒然 | - | -

通常運転再開しました

お休み期間終了しました。

 

おかげさまで、オフィスに関する手続きのあれこれ

毎年の確定申告の準備などの用事は全部片づきましたので

通常運転を再開しています。

 

とはいえ、1月から「オフィスの退去」のことばっかり考えてて

営業活動をしていなかったので本当にぼちぼちなんですけれども笑

 

 

何かを手放すのは恐いものです。

それが「自分を守るために持っていたもの」ならなおさら。

今年のお正月は、手放す決意とこれからどうなるんだろうな?という

漠然とした不安を抱いたまま迎えました。

でもこの感じには覚えがあります。

 

2015年のお正月。

前の年まで、誘われるままいろんなイベントなどに参加していたのを一切やめて

何の予定も入っていない真っ白な手帳を見て不安だった時と同じ。

無理やりにでも何か予定を入れた方がいいんだろうかと焦っていた覚えがあります。

でも、流れに身を任せようと腹をくくったら

「陽転お茶会」が生まれた、という経緯があり

その時と同じような空気感の中にいます。

 

だから今自分の手の中に何もなくても、慌てたり不安になったりしないで

できることをやっていこうと思っています。

 

オフィスを手放したので、イベント的なものは当分やる予定がないし

招致イベント的なこともやらないつもりです。

個人鑑定とソラリタ、あとは御用命に応じて陽転お茶会とか夢叶ブレスト

というシンプルなラインナップで当面いきます。

 

講座は、ここまでできるようになってもらいたいという理想と

これくらいの知識があれば良いというニーズとが

うまくかみ合ってない感じがしていて

ライトなバージョンとがっつりバーションに分けた方がいいのか

今ちょっと迷っているので、しばらくメニューから外します。

 

自分がこの先どういう立ち位置で、どんなお客様を相手に仕事をしていきたいのか

みたいなことをいろいろ考えました。

占い師という肩書がしっくりこない感じがして。

今何か具体的な予定やプランは何も無いので、今すぐどうこうはしないけど

名前もそうだし、このブログもそうだし

何かを変えるのなら全部まとめて変えたいと思っているので

その方向性を探りつつ進んでいきます。

迷った挙句に何も変えないっていうのもあるかもしれないしね。

 

少し前の風の強い日

部屋の退去が終わったお礼を言いに竹島に参拝に行ったときのおみくじ。

 

 

 

 

 

 

 

 

Posted by 八雲あかね at 15:55 | 日々の徒然 | - | -

お疲れ様会

この前友人がインスタに投稿しているのを見てからずっと食べたくて

いろいろのことが片付いたらご褒美として食べる!と決めてた。

 

本日をもって借りていたオフィスの退去が完了しました。

 

引越しならそのまま移動させるだけだけど、そうじゃないので

家では使う予定のない家具をどうやって処分するかが一番大変でした。

リサイクルの家具屋さんは、査定に来たら即日持っていってしまうけど

買取ができないものは引き取ってもらえないので

あまり早く頼み過ぎてもオフィスが機能しなくなるし

ギリギリに頼んで買い取ってもらえなかったら対処できないし

そういうタイミングを計るのに骨が折れましたね。

 

最初に依頼したリサイクル屋さんは、来れる日が退去期限の前日だったので

さすがにそれは無理だろうということで

結局、以前学習机を処分してもらった業者さんにお願いしたところ

買い取れるものと処分するもので差し引き0円でした。

 

あとのものは自分でちょっとずつ運んだり処分したりしましたが

私一人が、仕事でだけ使って、生活もしていないのに

できるだけスッキリ使おうと思っていたのに

本当にたくさんのモノに囲まれていたんだなということに

改めてビックリしました。

 

たくさんの楽しい時間をありがとう。

水色とグリーンの間のような壁の色がすごく好きでした。

 

まあでも、諸々の手続きも済んだし鍵も返したし

あとは持ち帰ったもので処分するものをゴミの日に出すだけ。

確定申告の準備も先週のうちに終わらせちゃったし

12日までのお休み期間、まるまる自由に使えるじゃん!ということで

念願のいちごデザートを食べて、ひとりお疲れ様会やってきました。

 

ただ、やれやれ〜と気が抜けた途端に熱を出すというパターンになるので

そこだけは気をつけないと、と思っています。

(去年はこれくらいの時期にインフルに罹って大変だったし)

 

 

Posted by 八雲あかね at 18:08 | 日々の徒然 | - | -

強さと弱さ

今日友人と話していて

困った人とどう付き合うか?という話になりまして。

 

私もこういう仕事をしているし、友人も媒体は違えど

だいたい同じような(海王星を使う)タイプの人たちなので

うっかり気を抜いていると困った人たちがくることがあります。

 

お客さんはいいんです、まだね。

対価が発生するので。

一番厄介なのは「知り合い程度」のくれくれちゃんです。

 

質問にこたえてくれくれ

相談に乗ってくれくれ

高度な変化球として褒めてくれくれ っていうのもある。

 

質問されたとき、相談をもちかけられたとき私は

「友人としての答えが欲しい?占い師としての答えが欲しい?」と尋ねます。

友人としてなら「好きなようにしたらいいよ」

占い師としてなら「料金が発生するけどいいか?」

これでだいたい話が終わります。

 

あと私は意地悪なので、相手が一番言って欲しいであろう言葉は

あえて言わないようにするかな。

期待に応えなければ、くれくれされずに済むから。

 

聞く方はこれくらいいいじゃん、なのかもしれないけど

時間やエネルギーを使わされる側からしたらたまったもんじゃない。

 

というようなことを話していたら

あかねさん強いね、それくらい強くなりたいって言われたんですが

その時私はまったく逆のことを考えていました。

 

そこまで強硬な態度を取らないと、相手に領域を侵食されると思ってるから

それがとてもそれが怖いから、強気にいくんだろうな〜と。

本当に強かったら、何が来ても何をされても意に介さないんだろうな、と。

 

だからこれから目指すのは、柔らかく受け流せてスルスルっと身をかわせるようになることかな。

いろいろ『どっちでもいい』と思えるようになったら

もっと軽くなるのかも、という気がしました。

 

でも、キレている私ははたで見ている分にはすごく面白いらしいので

そういうキャラはなくならないです、きっと。

 

Posted by 八雲あかね at 19:48 | 日々の徒然 | - | -

今を生きる よりよく生きる

昨日は豊橋のかぁやん商店さんで『陽転お茶会』でした。

 

豊橋というか東三河の土地柄なんだろうと思うのですが

地元で生まれ育った人が多い場所は他所の人をすぐにはコミュニティに入れない

という閉鎖性がある代わりに、だれか仲間内の人が「いいよ!」といった人には

ものすごくオープンに迎え入れてくれる場所だと感じます。

だいたい「〇〇さんが良いって言っていたので一度会ってみたかったです」と

来てくださる方が多い。

私が住んでいる岡崎は西三河になるのですが、こちらとは何かちょっと違います。

違いの面白さや、受け入れてくれる人がいる幸せをいつも感じます。

 

 

前にもちょっと書いたことがあるのですが、

昨日のお茶会でも、「前に違う人から〜〜と言われてずっと気になっていました」と

仰る方がいらっしゃいました。

ものすごく不安になってしまったんだろうと思うと同時に

そうやって誰かを不安にさせている人に対して怒りを禁じ得ませんでした。

 

これまで何人かの人に「算命学って寿命がわかるんですよね?」って聞かれたことがあります。

もしかして偉い先生に師事したら一子相伝的に教えてもらえるのかもしれませんが

私はそれは知りません。

仮にこの先それを知る機会があったとしても、

人の命に係わることは占いの禁忌事項だと思っているので

それをすることも、できるよと吹聴することもやるつもりはないです。

 

算命学の勉強をしていて本に書いていることをそのままあてはめると

身も蓋もないことばっかり書いてあって

これじゃ何もない普通の人を探す方がよっぽど大変だ!と思った覚えがあります。

(余談ですが、私の場合は普通の結婚をすると夫に異常が出るとか

親に大切に育てられると障りが出るとか、離婚又は死別によって運気が上がるとか

書いてあるよ)

 

算命学が帝王学として用いられていた時代は、そうやってたくさんの人の中から

もっともふさわしい一人を選び出していたのかもしれませんが

今はそういう時代ではありません。

 

占いの解釈は一つじゃありませんし、占い師も一人じゃありません。

自分がいちばんしっくりくる人を選べばいい、不安にさせる人の言葉にしばられなくてもいいです。

占いは呪いじゃなく、

どうしたら自分らしく幸せに生きられるのかそれを知るために使うツールです。

そしてそれを口にした相手がプロの占い師じゃないなら

聞く耳はもたなくてもいいと思います。

 

 

 

この年末年始、私はずっと死んでしまった人のことばっかり考えたり

聴いたり読んだりしていた挙句、自分が死ぬ夢までみて

なんでかなとずっと考えていました。

 

自分の母親が27歳で亡くなっていることもあって

幸せな人生だったのかな?悔いはなかったのかな?と考えてしまう。

人間は皆いつか死ぬ、これだけはどんな人にも平等に課せられた定めです。

だったらそれを精一杯生きることが、生まれてきた使命や意味なんじゃないか。

 

一生懸命生きるということ(それは好きなこと楽しいことだけして生きるという意味では無いです)

持って生まれたものを最大限に活かすこと

たくさんの人にそれを知ってもらうためのお手伝いをしていくんだな、と思いました。

 

死ぬとき後悔しないために本気で生きる、とか大げさだなと思いますが

私は太陽にトラサタ天体全部アスペクトしてるので

なんとなく幸せだ〜というゆるさがなくて極端な出方をするのかもしれません。

 

Posted by 八雲あかね at 00:25 | 日々の徒然 | - | -

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